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御船(おふな)祭り

旧暦1月18日(今年は2月12日)に盛大な祭りが催される青峰山(あおみねさん)正福寺は、鳥羽駅より車で約30分、鳥羽市松尾町にあります。
海上の安全を祈願する船員、漁師、海女たち漁業者や船舶関係者が沢山参詣に訪れます。車で行く人は松尾町より登り、的矢に降りる一方通行となります。(道がとても狭いのです)
勿論登山道もあり、自分の足でしっかりと登られる方もあります。

正福寺は鳥羽市史によれば (749〜56) 法相宗の寺として行基により開山
(807) 高野山真言宗に改める
(1684〜87) 僧 弁意が再建、中興の開山なる
(1804) 僧 慶圓、現在の堂宇を再建する
と、あります。     
御本尊は昔、相差の海岸に打ち上げられた鯨の背に乗っていた、と伝えられる黄金の十一面観音菩薩立像です。秘仏として厨子に納められているそうです。

広い境内には、本堂、鐘楼堂、庫裡、方丈など17棟の建物が並びます。

正福寺へと続く道は露店が立ち並び、懐かしい香りを漂わせています。露店の後ろで満開の紅梅、白梅も出る幕無し・・・の感です。

食の誘惑を振り切り山門にたどり着くと、ここでしばらく足止めです。その立派な事。

山門は1830年の完成といわれ、的矢の大工棟梁 中村九造が長い年月を掛けて造り上げたそうです。

入母屋造り、本瓦葺、三間一戸の楼門です。

各部には繊細極まりない彫刻が飾られています。この中でイセエビの彫り物は特に素晴らしいと聞き及んで、参詣に訪れた見知らぬ方と一緒に山門の周りを見上げながら、ぐるぐると探し回りました。

ようやく、「アレじゃないか」と声が上がりました。多分そうでしょう、それらしきものが隠れるようにして存在しました。
上の写真、はっきりと見えるのはイセエビの立派な角。中央部にみえるのはイセエビの尻尾ではないかと推測します。 こちらの写真は、イセエビの頭の部分が立派な角と共に見えます。(矢印)

隠すように彫られていて、このイセエビを探すのは大変でした。まるで宝探しです。もしかしたらこの作者はこういう事を計算済みで、楽しみながら彫られてたのかも・・・職人の心意気とでも言おうか、粋な遊び心を感じました。

細かい格子に囲まれて、少し影の薄い二王様ですが覗いてみてオヤ!!!

山門の左右で2体ずつ、仁王様が守っておられます。

私、このような仁王様は始めて拝見しました。

他にも沢山の彫り物がありましたので、一堂に掲載します。  ページTOPへ戻る

まだ他に、鶴と象もあるそうですが、残念ながら見つけられませんでした。(この時代に象の姿をどうやって認識していたんでしょうか?不思議。どのような象だったのか、次回にはぜひ見つけたいものです)

山門をくぐると、又もや沢山の大漁旗のお出迎えです。参道の両側にカラフルで元気いっぱいの旗がなびいています。
鐘楼では参詣に訪れた方が心を込めて、力強く突き鳴らしています。立ち並ぶ露店を通り抜け、まずは心と手を清めましょう。

本堂の前でも大漁旗がなびいています。時代を感じさせる灯篭が建っています。一対は青銅かと思われます。柔らかな曲線が美しく、惹きつけられました。石灯篭の台座などでも年代が分かるそうですが、・・・勉強不足です。

本堂は間口五間(9m)、奥行き六間(11m)、軒高五十五尺(17m)大きな建物ですが、海上の安全祈願に訪れた信者の方々で埋め尽くされています。

本堂の屋根瓦もなかなか凝っています。紅梅と共にご覧ください。

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本堂にはミツカン酢や、ソニー創業者の先祖が寄進したとされる物があると聞き及び、探しました。

ミツカン酢のほうは探せませんでしたが、ソニー創業者の先祖の方が寄進されたのは多分(自信ありませんが)これじゃないかと、一枚。

回廊に沿って展示されている船の絵馬は、ご加護により助かった人々の寄進によるもので、嵐に翻弄される船の姿が描かれています。古くからのものが多く、中には絵がかすれかかっている物が見受けられました。

少し高台に登って境内を見渡しました、なかなか結構な景色です。

寺には光を放つという光明岩があるそうですが、確認できませんでした。これも次回のお楽しみに残しておきましょう。

お城を彷彿させるような石垣に囲まれた正福寺を後にするとき、びわの花が咲いていました。

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