黄金の国ミャンマー4日間旅行記へ戻る
 1989年ビルマ連邦からミャンマー連邦と国の正式名称が変更された。

ミャンマーは人口の9割以上が仏教徒。その信仰の厚さを象徴するパゴダ(仏塔)の外壁には信者から寄付された金箔や宝石が施され黄金に輝いている。黄金の国と言われる所以である。

ミャンマーへの入国には査証(ビザ)が必要だ。
ブラジルへ渡るときに自力でビザの取得を試みて四苦八苦した記憶があるので、今回は旅行会社に一任することにした。

ベトナム航空でセントレアから出発、ハノイで乗り換えてヤンゴンへ。(自力で乗り換えってのも結構勇気がいるものだ、何しろ英語が喋れないから、すべてジェスチャー+チケットを見せる・・・苦労するなあ~)

ハノイでの乗り換えは自力だったから、ヤンゴンに着いて現地ガイドの出迎えにほっとした次第。時差はセントレアと約2時間30分。ツアー会社の専用車でレストランへ移動。ハウスオブメモリーズだ。

食事処は2階。ここでミャンマー料理の夕飯を頂く。レストランがとても清潔感があり、まあ、普通のレストランだったから何の違和感もなく食事を楽しめたが、これがそもそもミャンマーにおける認識の間違いの始まりだったような。(後日たっぷりと思い知らされた)

メモリーズの名前通り、階下はアウンサンスー・チー氏の両親の記念品が展示されていた。タイプライターはいかにも旧式って感じ。スーチー氏の家族や、一緒に働いていたスタッフの写真、仏教国らしく仏像はうやうやしくまつられている。

2連泊するホテルは「ベストウエスタン グリーンヒル」割ときれいなホテルで安心。

翌朝はホテルを出発すること午前6時。ミャンマー屈指の巡礼地「奇跡の岩・ゴールデンロック」へ片道4時間の日帰り観光に出発。ホテルで簡単なお弁当を作ってもらっての強行軍。
車の中でサンドイッチ、フルーツ、ジュースの朝食を頂きながら、両サイドの朝の風景にビックリの連続。

 町中は人・人・人で溢れている。バス停ではないが、数人がかたまっている。どうやら迎えの車を待っているようだ。

その車とはトラックの荷台を人が座れるように改造した物だ。座れる人はいい方で、溢れた人は立ったままで、振り落とされないようにしっかりとつかまっている。慣れた様子で車の振動に合わせて体を揺らせている。

高速道路に入ってこれもまたびっくり。舗装されていないし、両サイドは雑草がぼうぼうの普通の農道、人が歩いていたりと驚きの連続だが、ミャンマーに長く住んでいた人の話では「ずいぶん良くなったんだよ、昔は穴ぼこだらけで危なくって走れなかったんだから」高速道路が穴ぼこだらけ?

ゴールデンロックチャイティーヨー・バヤー)に行くにはキンプンからトラックバスに乗り変えなければ行けない。大型トラックの荷台に乗り込むための階段が設置されている。荷台には20センチくらいの板が運転席に並行して数本設置されている(数えられなかった)。これが座席なのだ。荷台は満員にならないと動かないのだそうだ。
チャイティーヨーに入山する為のゲートがあるが、そこでトラックは満員であるか確認している。

山頂までは鋭角の蛇腹折れの山道が右に、左にと延々と続く。30分から45分くらいのドライブではあったが、これは実に恐ろしい体験だった。カーブ・・・というより三角形の頂点を右折、左折するときに4ケ所ついているトラックのタイヤは、きっと1ケ所は宙に浮いているだろうと恐ろしい想像をした。凄いドライブテクニックだ。マチュピチュの遺跡へ行くときに乗ったバスのほうが安全だったような気がしてきた

後日、ミャンマーに住んでいた人から聞いた話に身震いした。「昔このトラックバスが落ちて観光客が沢山亡くなったんだ」…だろうねえ!こんな状況ではトラックが落ちても不思議じゃないわ。もっと早く聞いておけばよかった。
無事に終点に着いた時は運転手さんに拍手を送りたいくらい感激した。帰路も同じ行程なんだけどな。

チャイティーヨーについて、両サイドの露店を見ながら(+悪臭と闘いながら)坂道を上り詰めたところに目指すゴールデンロックの入り口があるが、門前で裸足になること(勿論靴下もダメ)が入山の条件。何しろ敬虔な仏教徒の聖地なのだから。履物を預かる店もあるが、トラブルを避けるために私は持参のビニール袋に仕舞い込んだ。

山門の入り口には禁止事項がイラストで描かれているが、どれもよく似たイラストでさっぱりわからない。わかっていることはガイドに言われた「素足で歩けって」ことだ。何しろお坊さんだって裸足なんだから。

でも、これが大変。日本の神社仏閣の廊下ようにピカピカじゃない。小石がゴロゴロ、小さな物がいたるところに落ちていて痛い。泥なんて当たり前。足の裏は真黒だ。これが修行なのかな?ようやく見えてきたゴールデンロック!有り難さもひとしおってところ。

一見、今にも落ちそうな黄金の大岩の上に高さ7メートルほどの小さな仏塔がある。この中に仏陀の頭髪が収められている。落ちそうで落ちないのは仏陀の頭髪によってバランスを保っているそうだ。この不思議な大岩はミャンマーで屈指の巡礼地となっている。

ゴールデンロックに触ってお祈りできるのは男性のみ、金箔を張りたい女性は金箔を買って男性にお願いすることになる。ゴールデンロックの入り口には警備員がいて、女性が入れないように見張っている。

敬虔な信者によって岩全体に金箔が貼られている、なんと熱心な宗教心。右端の写真は「タマリンド」自生しているようだ。香辛料として用いられているそうだが、土産品として加工されお菓子のようにして売られていた。ニッキのような味で結構いけると思った。1cm角の八橋のよう。

お祈りをするときの座り方には目を見張った。これが普通の座り方なんだそうだ。日焼け止めと言われている「タナカ」の塗り方もまちまちで初めて見たときは思わず吹き出しそうになった。何をふざけてるんだろう~と。子供や男性も塗っている人がいたから化粧というよりはやはり日焼け止めなんだろう。(美的感覚がどうも理解できないけど)

観光を兼ねてお祈りを済ませゲートを出る。ここで振り返り初めて観光客として辺りを見回す。キンキラ金で飾られたものばかりでタダすごいなあ~と思うばかり。日本の神社の狛犬よろしく、ミャンマーでも狛犬っていうのか不明だが、姿が微妙に違うな~。

参道はいわゆる門前町よろしく露店があり、お店もテント張りながらミャンマーとしては、なかなかの店構え。荷物の運搬を生業としている人は自分よりも大きなにもつを背負っている。私たちがトラックバスで登ってきた道を歩いて下山するのだ。実にたくましい。

写真を取り忘れたが、歩き疲れた人は人力かごを利用できる。かなり高額ではあるが、足を痛めた場合とても助かること間違いなし。
人力かごといっても江戸時代のようなかごではない。簡単に言えば担架である。これを4人で肩で担ぎスタスタと歩いていくから同行者はとても追いつくことが難しい。担いでいる人のふくらはぎの筋肉がくっきりしていて働き方がよくわかる。

参道の一画にある店に入り昼食。ツアーの行程に組み込まれているから拒否の仕様がないが、見てびっくり!!!すでに用意されてテーブルに置かれていた食事には「蠅」がいっぱい集っていた
「うわあ~、ナニコレ」と叫んだらお店のうら若き女の子は慌てて持っていた”はたき”のようなもので蠅を追い払いかけたが、蠅はお構いなく隙を見つけては食物に近寄ってくる。女の子と蠅の戦いが始まった。、

私たちが来て初めて蠅を追い払いかけたけど、見ていない間はどうだったんだろう?推して量るべしだな。
すでに食欲は失せていた。

帰路もバストラックに乗って、恐怖を味わいながら下山。途中ロープウエイらしき工事をしているのが見えた。早く出来上がることを祈る。(1年たってミャンマーの情報を見たら、既にロープウエイは完成したようだ。命からがらなんて目に遭いたくなかったら断然ロープウエイの利用をお勧めする)

チャイティーヨーからキンプンへ。町中の光景を見ながらガイドの車で移動。民家と思しき質素な建物。露店もなんだか怪し気に見える。バイクに乗る男性はノーヘルに草履履き。

有料道路を通過、軽トラといえども運搬機能は十分。当たり前のように荷台は人が乗っている。食堂らしき店も見えるが客は入っていない。もしかしたら夕方からの店なのかな?

左下の写真は洋品店、マネキンがきつい日差しの下で並んでいる。

ヤンゴンの街中、夕飯のお店へ到着。ここは蠅はいないだろうな~。(恐怖だ)。結構な人たちが食事を楽しんでいる。まあ、良さそうだな。さっぱりスープのミャンマー鍋料理とのこと。
テーブルに着くとガイドに誘われて席を立つ。ドアの外にあるケースに鍋料理の食材が保存されていて、自分たちの好みの食材を自分で運ぶんだそうだ。
ガイドは山のように食材の箱を積み重ねて持ち出そうとする。そんなに食べられないだろうにと思いながら後についていくしかない。

鍋が二つに仕切られている。激辛のほうとノーマルだという。で、ガイド曰く「私は辛い方が好きだから、あなたたちは辛くないほうを食べて」だって。???

当然のごとく鍋の食材は残ってしまった。「こんなに残して申し訳ないね」「いいのよ、手を付けてない食材はお勘定に入らないから」びっくりだな。じゃあ、残った食材はいったんはテーブルに運ばれたのにまたドア近くの格納庫に仕舞い込まれるのか・・・。

ここでは当然のごとく、ガイドと専用車の運転手の食事代もこちら持ちとなった。こんなの聞いてないけどな。

ホテルへ戻ってからのお笑いの一コマ。例の化粧品「たなか」が説明入りでフロントに置かれている。説明文が分からないから、置かれている丸太をしっかり握り立て、擦り始めた。眺めていたフロントマンが多分見るに見かねたんだろう、飛んできた。

満面の笑顔で腕まくりをしながら、水分をたらしこみ、丸太棒を横に石板と擦り合わせ始めた。な~るほど、出るわ出るわ白い粉というか、絵の具のような液体が。これを顔中(ほっぺだけの人もいたけど)に塗りたくるんだな。女性だけのお化粧じゃなく、男性も塗っている人がいたから、単なるおしゃれじゃなく多分日よけ効果だろう。皮をすっかり擦り取ってしまったらお仕舞みたい、中の樹木としては白い丸太棒が残ることになる。

親切なことにミャンマー時間と日本時間の表示がある。早朝のミャンマーではホテルから見ていると一見廃墟のような所から人の出入りがある。仕事に向かう人達だろう。

ホテルの朝食風景。昨日は簡単なお弁当だったから新鮮味がある。ゆっくりと味わった。日本食モドキがあるのもうれしいけど、やはりモドキはモドキの味だ。

清潔感たっぷりで、これだけの料理が揃えることができるホテルに感謝。昨日の昼食はいったい何だったんだろう?悪夢だったとしか言いようがない。
本日の観光のメイン、シュエダゴン・パゴダの観光に出かけるまでの束の間をホテルのフロントや玄関周りを見て回った。ベストウエスタン・グリーンヒルホテルとあるが、「泊まったところはしっかりした一流のホテルか?」と聞いてきた友人はその名前は知らないといった。危ないところに泊まったんじゃないかって言い方だったが、でもこれなら大丈夫だと思った。暑い国のクリスマスツリーは日本のように雪の飾りがない。ブラジルでも同じだった。玄関にはすっかりなじんだ軽トラのトラックバスが停まっていた。

シュエダゴン・パゴダの入り口。先ずは靴を脱いで裸足になる。エレベーターで2階へ上がる。ここで大木が迎えてくれるが1階から伸びているそうだ。ここはミャンマー最大の聖地で2500年の歴史がある。

裸足で焼け付いたところを歩くのはキツイ。修行が足りないから、なんだかお仕置きを受けているような感じ。アツイ、アツイ!を連発して飛び跳ねるような歩き方をしていたら、遅まきながらのガイドの言葉「緑の敷物の上を歩くといいですよ」…もっと早く教えてよ!

それにしても素晴らしい宝石の数々、これがすべて寄進によるものだなんて、ミャンマーの人々の信仰の篤さが計り知れないほど深い。

寝釈迦像だ。お釈迦様が横たわっていらっしゃるのは涅槃像かと思っていた私は全然理解していなかったのだ。この像は横たわっていらっしゃるだけ。

生まれ月毎に礼拝する場所が決まっているので、それぞれの神様に御祈りをささげている。

寺院を出てボージョー・アウンサン・マーケットの見学。「ケンガク」だ、買う気持ちがないから。店頭の貴金属に圧倒され、足早に立ち去る。じゃないと店員がネックレスやブレスレットを否応なく体に押し付けてくる。

一つだけ自分へのお土産として、ロンジー用に切り分けられた布地を買った。仕立てを待つ時間が無いから自分でミシンで縫うからと言うと、ガイドが驚きの表情で「ミシンを持っているの」と言う。当たり前のように使っていたミシンだが、ここでは貴重品のようだ。

アウンサン・マーケットを出ると前はメインストリート。かなりの渋滞だ。迎えの自家用車を待つ人もいる。トラックバスも何台か走るが、立派なというか私的には普通のバスも走っている。

マーケットから車で移動。ヤンゴン中心地のスーレーパゴダの近くのロータリー。(スーレーバゴダはバスの終点となっているそうだ)

イギリスの統治時代に建てられた「旧最高裁判所」(ボジョーアウンサンが暗殺された場所。今は、ヘリテージとして残されている)や中央郵便局、ヤンゴン市役所、旧イギリス大使館(現銀行)、ステランドホテルなど統治時代の建物がそのまま残されている。100年以上前に建てらた。
白亜の独立記念塔がひと際目を引き付ける。

立派な建物のあるストリートを縫うようにリンタクが走る。自転車を土台とした物売りや、開店準備中の荷車もある。

昼食はミャンマー東部シャン地方の名物料理ミャンマーヌードル。清潔そうなレストランの店構えにほっとする。客の到着を知らせるドラがなる。なんとなく韓国風?

店内に飾ってあった絵。王さまと思しき人は白馬に乗り、従者が日傘をさしかける。

渋滞の中、市民生活を垣間見るような風景を眺めつつチャウッタージー・パゴダへ向かう。
比較的新しい仏塔で、全長70m、高さ17mの巨大な寝仏が祀られている。どの角度から見ても優美な表情をしており、女性のような顔立ち。耳たぶは肩まで届いている。足の裏には黄金の仏教宇宙観図が描かれている。目はしっかりとあいており唇の色が美しい。この仏像は寝釈迦だ。涅槃像ではない

涅槃仏とは釈迦が入滅する際の様子を表した仏像だ。右手を枕に頭は北向き、顔は西向きに寝そべった姿が現される。この姿勢から一般に人が亡くなっときに北枕にねかす由縁になったといわれている。

黄金の玉座のような椅子は宝石が散りばめられ金色に光り輝いている。座って行けないと表示されていた。

仏像は本当に優雅、マニュキュアが施され、まつ毛の長いこと。

仏像の足元もおしゃれ。ピンクのペディキュアが素敵。裏側では工事中。高いところで休憩中の作業員もロンジーを着用している。一般的にミャンマーでは男性もロンジーを着用している。仕事がやり辛いだろうと思うけど慣れているのかな?

寝釈迦像と涅槃像の違い。寝釈迦像はぱっちりと目を開き頭に当てている手も指に力が入って立てている。涅槃像のほうは目を閉じ、右手も頭に沿わせている。足の組み方も微妙に違うのが見て取れる。

飛行機の出発まで時間があるから動物園へ行かないかと誘われたが、価値観が違うなあと内心ガッカリ、丁重に断った。それくらいなら行きたいところはたくさんあったんだ・・・・・もっと行程をよくチェックしておかなかったこちらの落ち度かも。心残りのある旅行だったな。

理解できないハプニングもあった。未だによくわからない。空港のトイレは大体が綺麗だから、ヤンゴンでトイレで手を洗い、乾燥機を使おうとした途端その下に座り込んでいた男の子が(大体女子トイレに子供と言えども男子が座り込んでいたのが不思議だった)いきなり立ち上がりジェスチャーで向かいに設置してあるペーパーで拭けという。(日本語じゃないけど分かった)
ペーパーで手を拭くと”うん、うん”と納得したような表情を見せた。

乗り継ぎのハノイでも小さなハプニング。飛行機が1時間遅れだと言う。その時間を利用してお茶を買いに行った。ところが遅れていたと思われる飛行機が予想外に早く着いた。ツアーの仲間が大慌てしていた。間一髪で間に合った。
購入した日本茶にも笑わされた。サントリーの日本茶だが、プラスと書いてある。何がプラス何だろう?取り敢えず懐かしい日本の緑茶をゴックン!!!
ビックリ、なんだこの味は?砂糖がたっぷり。
ミャンマーに住んでいた知人にこの話をしたら、ミャンマーでは砂糖は貴重品で、オモテナシの意味があるという。イヤだー、私は緑茶が飲みたいのだ!いろいろ経験したな~。