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フェリーに乗って旅行気分を味わおうと盛りだくさんの計画を立てました。
ミツカン酢の里を見学して新美南吉記念館を見学。
その後でごんぎつねの湯(温泉)でゆっくりとくつろぐ。

時間があれば、以前寄り道をしたえびせんべいの里でお土産を買って、豊浜魚ひろばにも行って、新鮮でお値打ちな魚介類を買いたいなと希望はいっぱい。

フェリー代金   鳥羽〜師崎

軽自動車使用
(ドライバー1名含)
 同乗者1名 往復合計
割引なし(片道) 6,550円 1,150円 15,400円
往復割引(往復) 12,450円 2,190円 14,640円
JAF割引(片道) 4,740円 1,040円 11,560円
“とおりゃんせ”
割引(片道)
6,550円 無料 13,100円
現在師崎航路は廃止されています。

鳥羽を出航して直ぐに見えるのがミキモト真珠島です。
答志島付近を航行中、師崎か伊良湖から帰ってきたフェリーとすれ違いました。

鳥羽〜師崎 約70分の船旅です。

神島沖でこんなタンカーを見ました。何を運んでいるんでしょうか?
次に見たのがこのタンカーです。

師崎でフェリーを降りて、両側に緑が溢れている南知多道路(有料です)を走ります。
かつては海運の盛んな商人の町だった半田。その半田ICでおりてミツカン酢の里まで、信号がいっぱいの道を進みます。
実際に稼動しているミツカン半田工場の一部が博物館「酢の里」として、酢の歴史や醸造工程が見学できるようになっています。
予約を入れた見学時間まで1時間もありましたが、繰り上げていただけました。

ミツカン酢の蔵も工場も、板は黒く焼かれています。火災が起こった時に水をかければ、炭化した板がたっぷりと水を吸い込んで延焼を免れるそうです。


江戸時代のすし屋
随分大きなお寿司でした、今のおにぎりくらいありました。

博物館「酢の里」
お酢が酒つくりの技術と共に日本に伝わってきたのは5世紀頃。
1804年それまでの米ではなく、酒粕を原料にした「粕酢」を醸造した初代中野又左衛門氏の時代からの資料が色々揃っています。

工場の脇には、江戸時代に酢を 運ぶために使われていた運河が今も残っています


直ぐ近くに国盛り「酒の文化館」があります。

予約はしてなかったんですが、せっかく来てくれたんですからと入館させていただきました。

酒つくりのための珍しい道具もさることながら、見学コースの最後に色々な種類のお酒の試飲があります。
“どれだけでもどうぞ”と勧めていただきましたが残念。私、飲めませんので・・。(これがケーキだったらなあ)

入り口の杉玉が造り酒屋の雰囲気をかもし出しています。


少し道に迷いながらも憧れの新美南吉記念館へたどり着きました。
ごんぎつねだ〜と喜び勇んで車を降りましたが、うん?この鎖はな〜んだ、と。月曜日は休館日、です、だって。
残念!ついてないなあと思いつつ、ごんぎつねの湯も諦めてもときた道を引き返しました。と、華やかな住宅展示場の隣に大きな苔むしたレンガの建物が見えました。好奇心は人1倍、早速車を道の片隅に寄せて見学です。

明治31年に建てられた地上5階、高さ18mで、現存するレンガ造りの工場としては最大級のものです。

この工場では、本格的ドイツ風ビール「カブトビール」が醸造されていました。

第二時世界大戦時には、中島飛行機の倉庫として使われていました。

右の写真では機銃掃射による被弾跡が残っています。
左の写真、最上階の窓のステンドグラスが綺麗でした。


予期せぬものを見せていただいた思いを胸に師崎港まで帰ってきました。もう日は西に傾きかけています。

船着場の片隅に夾竹桃が咲いていました。昔々読んだ本の中に書いてありました。原子爆弾の落ちた広島で真っ先に咲いたのが夾竹桃の花だったそうです。


フェリーから見る夕日はとても綺麗でした。少しだけ手を加えてありますが・・・・・。

鳥羽が近づいてきました、まもなく夕日も沈みます。それなりに充実した1日でした。最後にイタヅラ好きの人が言いました。夕日が沈むと音が聞こえるんだよ。え?なんて聞こえるの?『ジュッ』本当に聞こえそうなくらい真っ赤な夕日でした。

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